故郷・天草・湯島・海は夏色と島・雲丹

熊本ごみしょりおじさんと湯島紀行

2011年08月12日 09:06



久ぶりの故郷であった
島波も 雲仙・島原半島も 透明の浜磯も
かかる入道雲(積乱雲)も
そのままで 時間が 50年も前に 
止まったような いっ時が流れる
何時も思う 仕事が無くともいい
もし 漁師仕事でも 
僅かばかりの 畑仕事でも
自給自足でも 食べられれば
帰って来たいと 思うのだが
それでいて 世間に負けたような
世捨て人には
成りたくは ないとも思う。
島は 自分勝手な解釈で 待ってるような
気がするんだが・・・・?

*湯島・”まぼろしの島ウニ”と
           豪快・海を喰らう


何でも ”まぼろし”と 枕詞になって
どうやら 貴重な一品の 代名詞に
成ってしまった。
”まぼろしの 湯島ウニ”
”まぼろしの 湯島大根”
”まぼろしの 湯島甘藷”
”まぼろしの 湯島若布”

等々 結局量や数が 少ない訳でもなく
大量生産を試みれば 出来ない事も無く
収穫者も 人数が多ければ それなりの
収穫もある。
全ては 生産者が 少ない事が 皮肉にも 
”まぼろし”の 称号を授かる事と成った
悲しいのか 嬉しいのか さっぱりだが
その中で 味覚の素晴らしさは
”まぼろし”にあらず 
確かなものであることが 自慢である。
親友が 塩ウニの 壜詰を 
10本送ってくれた 
言っておくが 私の”ウニどんぶり”は 
ウニ房を 2・3切れ 入れて 
味を 楽しみながら 食べるのとは違い
どんぶり飯に 壜詰のウニを 
半分から 3分の2を かき混ぜては
豪快に 頬張りながら 磯の香と
ウニ房の甘味と 潮の匂いを感じながら
”海を喰らう” その素晴らしさに酔う
そんな ところだ。
もう二度と かって 海が 沸き
太刀魚が 浜んこらを 舞埋めては
活性に満ちた 湯島は 戻りはしないが
思う なんとしてでも ”まぼろし”
終わりたくないと・・・・・・

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