熊本県内外。九州管内。全ての地域の ごみ処理
熊本ごみしょり・廃棄センター
株式会社 くまもと流通
電話連絡先 096-384-9162
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じゅうたん・書類・倉庫・食品ごみ・車・臨時ごみ・定期ごみ・(人間) 以外のすベてを (処理。解体。買取り。)ご相談 お待ち 致しいます
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2009年06月09日
東洋のナイアガラ曾木の滝
曾木の滝は
たいへんな
広さであった。
岩石の上から
その溝を伝い
落ちる 様は雄大そのものであった。
そして近代日本の祖 政商 野口遵翁はここにも 居られた。
曾木電気を設立・曾木水力発電所を つくり・工業・電気・
朝鮮コンビナート・日本チッソ・旭化成・日本カーバイト・中国電力と
戦前の 日本の 礎に 成った人だ。
その後 水俣病などの 要因にも成るが 九州・
日本・アジア・に残した 翁の功績は大きい
現在の水力発電の祖だ。旭化成や 日本チッソの元の
八代。鏡のアンモニア会社も 又 戦前の起業の過程に
消えが 翁の 功績には 違いない。
美しい曾木の滝・曾木ダムの 裏に 激しく身を燃やし
尽きた 男の夢を感じた。
翁が 愛した女性の名前が付いた 寄贈橋は
八代・鏡の工場・港に 現在も 残っている。
夢の大きさと 人の大きさと 事業えの執念と
並外れた人えの愛の深さを 感じないではいられなかった。
愛し続ける故郷・湯島へ
2009年04月26日
玄海灘の棚田
佐賀県の 呼子のとなり 玄海町の 浜野浦の 棚田は
玄海の 大陸寒風が 吹き込む ”岬せど”に あった。
ふと 草畑に 成ってしまった。我が家の 島畑はどうなのか。
何とも 比較にならない模様が あった。生活の 匂いを
自然に ぶつけながら 生産に 勤しむ 様は 自然の中に
生えている
美しいものは 美しいんだ。!それ以外に 形容はない!
2009年04月07日
青年薩兵の夢。
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三ヶ所神社は 宮崎県と 熊本県の 県境に立つ 薩軍の
落ち行く様は 一般の 人達に 何の印象を 与えたのか。
日の本を 憂い 馳せ参じた若き薩兵も 西郷翁も
この 飯干峠を 越え 死を 心指しての 行軍は
いかばかりの もので あったろうか。
何が正義で 何が正義じゃないのか それさえも
考えることも 許されず この峠を 越えるのか
10代の 青年薩兵に 涙が とまらず 絶景の中に
時を 偲ぶだけだ。
三ヶ所神社は 宮崎県と 熊本県の 県境に立つ 薩軍の
落ち行く様は 一般の 人達に 何の印象を 与えたのか。
日の本を 憂い 馳せ参じた若き薩兵も 西郷翁も
この 飯干峠を 越え 死を 心指しての 行軍は
いかばかりの もので あったろうか。
何が正義で 何が正義じゃないのか それさえも
考えることも 許されず この峠を 越えるのか
10代の 青年薩兵に 涙が とまらず 絶景の中に
時を 偲ぶだけだ。
2009年02月22日
川辺の水とダム。
源流を 目ざす
素晴らしい 水の透明性は
言うまでも ないが
環境も 素晴らしい。
ダムの 問題は
何が 正しくて
何が 悪いのか
私のなかでは
理解解決出来そうに ないし 善悪の問題では ないのだ。
ようは 民主主義の世界だ。賛成多きものに 従う。
それと 失われて行く 自然は 別次元の 問題提議だと思う。
2009年02月05日
夢の都市型資源
資源リサイクル廃棄物は
どうしても 民間ベースで
引取りリサイクル 価格も
一定かしない。
商いだから 需要供給の バランスの世界だから仕方ないに
しても 買取から 廃棄料を頂く時に変わる時期に
不法と投機も 多くなる。 資源は 今や 国家間の問題だ。
世界に 先駆けて 都市型資源の 備蓄を 一般に一定の
税負担を 負わせながらでも 実行する段階では なかろうか。
2009年02月01日
有明の夕のこぼれ陽。
陽が 沈む 冬の日の夕
自然が 織り成すものは
全て良い。しかも 人間が
造形したものまでも
含み 包み込む偉大さに
感動する。 人のおよばない大きさに ただ ただ 感嘆する。
2009年01月26日
角力灘と野母崎
雨の中でも りんりんと
高島を バックに きれいで
ごみの世界が この世に
存在することさえ 忘れそうな
一日であった。
美しい景色。美しいものを 眺めるとき 美しいごみなんて
ありえないと 何時も思うのだ どうしても相反する世界を 見つめるのは
人の常だが ついつい考えてしまう 想うことに 結論なんかあるわけ無い。