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2011年07月21日

過疎化・限界集落・限界団地


”人が住まなくては 家は荒れる”
よく言ったもので 本当に現在では
そんな家が 過疎化の地方 市内の旧団地では 
多くなっている。
考えると 年代的に集団就職だ 都会生活だと 
急いで 都会を目指して 出て行った
生涯出稼民族は その地に住み着いては
マイホームを 持っては 親が残した田舎の
家なども不用で 管理も費用の問題で
思うようにも出来ない。
そんな家が 多くなって来た。
もう 故郷も無くなって来た。
その時代の 人たちが 団地なる集団生活地も
作り上げたが そこも現代の 若者たちは
遺産なんぞと言う 小難しいものに 
抵抗を 感じては引き継ごうともしない。
いずれにしても 田舎も 旧団地も 
ゴーストタウンになる日は 近い
日本の 故郷は 
いったい 何処え行ってしまうんだ。
人の住まない家を 都会からの息子さんの
インターネット依頼で 家具の廃棄をしたり 
家屋解体をしたり 管理をしたりで
結構忙しいが 反面 寂しくなって行くのも
隠せない。

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Posted by 熊本ごみしょりおじさんと湯島紀行 at 15:23Comments(0)故郷 家族

2011年03月24日

悲しみに暮れる


朝から 寝るまで 悲しくてしょうがない
鬼瓦のような おじさんににも涙もある。
特に 噛殺した 赤銅色のおじさんが
死んでいった子を思い 顔をゆがめる
姿なんて 昔の何事にも 悲しい顔を
見せなかった養父を 思い出す
船も 家も 家族も もって行かれた
悲しみなんて 海縁に生活を営む者に
取っては 言い表わせようがない。
生きて欲しい 生きて欲しいと
願うばかりだ。

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Posted by 熊本ごみしょりおじさんと湯島紀行 at 08:13Comments(0)故郷 家族

2010年05月05日

旅の途中で・・・4

気が抜けての 離島は
ついでに 子供を生んだ
親なんていないが
ものの ついでに
生まれて
ものの ついでに
生かされているような 自分が 情けなく
誰かに 期待されるでもなく 又 そうされるのも 拒んだ。
やたらと 都会と言う未知の世界えの 入り口が 遠かったし
不安であったが  その頃身につけた 居直りの 人生は
「えーくそ どがんでん成れと 叫ぶまでは
そんなに 時間は 必要ではなかった。
それよりは 養父が事あるごとに 言い続けた
”働かざる者食うべからず” 学ぶ事も 人に良くする事も
すべては 食える事から始まる 食うことは 働くことだ 
学びも 主張も 寄与も 人に与える事も その後に来ると
養父は 口癖のように持論を 私にぶつけては 赤ら顔で
焼酎を 呷っていた。

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Posted by 熊本ごみしょりおじさんと湯島紀行 at 09:28Comments(0)故郷 家族

2010年05月03日

旅の途中で・・・3

確かに 一家は
離散したのだろう。
何で 離散して
何で 自分が
こんな島で こんなに
人間の 究極の
生活みたいな事を しなければ ならなかったか その時まじまじと
意外に 冷静に 振り返っていたが 「おんなじかァー」
呟くように 吐き捨てた。
結局は 見知らぬ実父の 死を恨むところに 辿りついてしまう
そこまで考えると 少年ながらに 責任が誰にも無いことに
気がつく しかし そのどうどうめぐりが 墓穴に食い込んで
行くような繰り返しに たまらなく悲しさや 切なさが 込上げてくる。
宙に 浮いたような自分の存在に 帰る所なんて
在りはしなかった。
ますますの 意識過剰な
少年の捨て身の 生き方に 拍車をかけた。

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Posted by 熊本ごみしょりおじさんと湯島紀行 at 10:04Comments(0)故郷 家族

2010年05月02日

旅の途中で・・・2

金輪際 働かない物が
食えるなん 思った
事は なかった
身について 養父の罵声で
頭の中の角に 時には
拡大しながらも 
存在していた 小さな規模の百性でも 大きい百性でも 
独りの一日の 苦労の量は 同じだと思った。
そんな 生活の中で 夢は何ですか?と 問われた所で
何も答える事もできない ”夢”と言う言葉自体が 程遠く
自分の範囲内にはなかった。
「なんば言うか飯食うこったい」
”夢”と 先々 食えることが 結びつきそうに無いが
自分の体の中のは 直結していた。 とすれば 
上の学校も 勉強も 仕事の云々も その先の先にあるような
気がしていた。
おじさんの 不良な捨て鉢の 人生が始まろうとしていた。

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Posted by 熊本ごみしょりおじさんと湯島紀行 at 08:55Comments(2)故郷 家族

2010年04月30日

旅の途中で・・・1

中学校を 卒業
15の歳に 島を出た
ホームシックなんて
こんな 立派な不良には
縁の無い話だと
思っていた。
養父は 一年前に死んだし 迷う事も頑張る事も 遠のいて
別に 生きてもよし このまま死んでもよし
漁師に成りたい 気持も 頑固養父もいないし
あえて 死ぬ事もなかろう 島を出る船に 乗りながら
前の晩の 送別会の 二日酔いの 勢いで
「もう 二度と 戻らんぞー
罵声は 船を送り出す人に浴びせた 仕事に明け暮れた
少年が 自由と得て 飛び出す島への別れの言葉であった。
俺は いったいこの島で 何をしていたんだ 何しに来たんだ。
振り返りながら思った。
養父は 厳しかったが 仕事終わりには ”だるやみ”にと
小さなビール瓶を 開けては 俺に飲ませてくれた。
俺は 顔を赤くしながら 真剣に長崎港からのやり出し船の 
遠洋漁業の 夢を見た。
回りが止めるのも聞かず 死んだ養父は
「一人前 働くもんな 体ん 出来とと」と 
自分なりの 理屈を捏ね回しては ビールを 私に注いで
自分は 計り焼酎を 飲んでいた。

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Posted by 熊本ごみしょりおじさんと湯島紀行 at 04:03Comments(0)故郷 家族

2010年03月21日

麦藁屋根の茶屋と美学と田舎

前出の原尻の滝の
休憩茶屋ではあるが
おじさんも 贅沢だ。
今度は 自然美が
ないと言う。
何処へ行っても
昔を想い造る 造形田舎美学が 存在する。
いただけないとは 思いながらも その中に どっぷり 浸る。
改めて 良いもんだと 思ってしまう。
作るには 大金も必要だ 昔その物の 部材も 設備も必要だ。
苦心しては 随所に 昔部材を そなまま使用してある。
最早 提供されてる側にしてみれば 感謝意外に 無かろう
おじさんの 不満も何処かえ消えてしまった。 ありがたい
遠方より コメント来る ありがたい おじさんも心の
何処かに 遠くに嫁いだ人 職業で移住した人 
おじさん見たいに 集団就職の移住者の人たちに
エールともつかない 熊本模様を 提供したい気持が
潜んでいる。遠慮なくコメントも頂戴したいと思う。

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ksrkhiroshi@yahoo.co.jp
  


Posted by 熊本ごみしょりおじさんと湯島紀行 at 07:55Comments(0)故郷 家族

2010年01月03日

青年と子育てと補助金

もう 40歳近くになる
早婚で 二人の子供を
儲けて 26歳で別居
細君は 入籍のまま
行方知れず
本人は 至って明るく
毎年元旦の AM4時30分には パッカー車を転ばせながら
作業開始だ。
彼には 正月はありそうに無いが 良い方法で 話し合い
時には 休めと言うが 一向に気にする風でもない。
2人の子供は すくすくと 男手 祖母手で 育つ
今の所 行政の助成や 補助金も 受けれれそうに無いが
何とか成らないかと 本人を諭すが 答えはいつも簡単だ。
「親父さん 俺が産んだ子だけん なんーもいらん
          俺が 育てるとが当たり前ですたい

人に 行政に 頼りすぎる世の中だ。青年よ末端に生きる
俺や お前が一番正しいのかも知れない。
建築物が 無くなったと 行政を攻める。
補助金が 無いと国を 責める。
それが 納税と比較対象に 得られる当然の権利なのか
彼は 出て行くとき 「親父さん 俺りゃ 男ばいた
気持の中で 今年も頑張れと・・・・・・
もう こんな正月が 何年も続く・・・・・・・・・
  


Posted by 熊本ごみしょりおじさんと湯島紀行 at 08:50Comments(0)故郷 家族

2009年11月17日

宮崎・美郷町のみかん売り家族

宮崎県・美里町の
無人販売所の
みかん売りは
通り掛に 一瞬
家族総出販売と
思いきや 
等身大の 
手ずくり人形であった。
なんとも ほのぼのとした
もの優しさと
ユニークさに
敬服いたしました。
人は 家族は 村は 国は こうあるべきだと 思う。
小さな国の 小さな田舎の 小さな村の 小さな家族の 
小さな人形の みかん売りは 明日もつずいて入るだろう。

  


Posted by 熊本ごみしょりおじさんと湯島紀行 at 05:54Comments(0)故郷 家族

2009年09月15日

岩屋の櫨と太刀魚

三角一号橋を 渡り5分も
走った所に 岩屋がある。
右に コンビニがあるが
そこは 瀬戸だったような
気がしている。
当時 三角大瀬戸を抜けて
養父とこの島に
掛かり泊まりしながら
太刀魚釣りに
精出した頃を 思い出す
大神島の 潮境は 
太刀魚の餌
”たれいわし”の宝庫であった。そこで餌を釣り 島原と三角の
中間まで 潮流れして 釣り場に 毎日出漁した事を思い出した。
この島の 突端には見えていないが 当時恵比寿さんか
地蔵さんか あったような気がする。子供ながらに 養父と
船付けしては 2・3回 安全を祈り お参りしたことがある。
その突端に 50年も 生き続けたのかその時と変わらない
櫨の木が 赤葉に なっていた。
  


Posted by 熊本ごみしょりおじさんと湯島紀行 at 07:47Comments(4)故郷 家族

2009年08月27日

あーあ三角駅

プラットホームに
5・6両編成の
汽車が 都会行きの
集団就職の 少年達を
待つ。
港町・三角駅は 憧れと
淋しさと 悲しさと 夢が 渦巻く 港町であった。
人生の全ては ここから始まる 世界えの入り口であった。
汽車はホームに入る度に 都会の違った空気を運んできては
夢のような期待感膨らむ少年・青年・少女達を 乗せて
又 帰って行った。
やがて 5・6年もして この地を 再び踏んだとき 切なさと
懐かしさと そして又悲しさを 感じたのは なぜだったのだ。
  


Posted by 熊本ごみしょりおじさんと湯島紀行 at 06:36Comments(0)故郷 家族

2009年08月21日

あこう樹と故郷

天草・湯島から持って
来たアコウ樹が
夏の 日差しに
緑々と 葉を
繁らせる。
もう 長いのは
25年から30年にも
成るだろうか
生命力の 強さに
感服する。
始めの一年から
2年は 夏には
自信が あったが 越冬には 自信がなく 温室保護を
したが 2年目 3年目と 自然越冬を 試みた。
なんと素晴らしく葉を 何枚か残しながら 冬を越した。
自然が 作り出す順応性に 感激した。
時々は 潮水を 天草から汲んできては 葉水をかける。
その度に 故郷に 帰れたように 緑葉が 輝く。
海が恋しいのか?何時の日か 天草・湯島に帰して上げたい。
  


Posted by 熊本ごみしょりおじさんと湯島紀行 at 04:49Comments(0)故郷 家族

2009年08月16日

ふるさとと”ごみ”

雲仙と 湯島の
ロケイションが 素晴らしく
つい カメラを手にしてた。
どうにも 雲仙との老嶽を
見て育った おじさんには
美しさと 何時までも残る
懐かしさが 自分にも解りそうにない 喜びを作り出してくれる。
どんな時でも どんなごみの中でも この景色は 一度として
頭から離れた事はない。
眺められる事の 心の和みは 果敢に攻める ごみの中でも
企業闘争にも 人えの 優しさも 全ての原動力を 自分に
与えられる事を 求めて止まない 自然美の極みだ。 
ふるさとだ
  


Posted by 熊本ごみしょりおじさんと湯島紀行 at 08:37Comments(2)故郷 家族

2009年07月27日

”ガラカブ”顔と福祉

今日は 熊本菊陽学園の
夏祭りであった。
いつもであれば
小学校グランドだが
雨のため 学園の
工場内で あった。
長靴姿の 田中園長は いつもの事ながら 地域住民。 役場。
政治家。と接待に 走りまわる姿は 我後輩ながら 熱意に
打たれる。
その”ガラカブ”顔から生まれる 福祉えの情熱は 
はかり知れないものがある。
時々 「あんたに優しさが 有るのが不思議だ」といえば。
「アンナア 優しさは 顔や 格好じゃなかっばい 
    顔んこたあ あんたに 言われとーなか
と 返してくる。
口は悪いが 福祉えの 情熱と 努力は 天下一品だ
自慢の 親友であり 自慢の 後輩だ
  


Posted by 熊本ごみしょりおじさんと湯島紀行 at 08:48Comments(2)故郷 家族

2009年07月21日

堂崎恵比寿さんと漁場。

久振りの島原・堂崎から
見る。湯島は裏側で
近いのに人家も見えない。
堂崎の人には 無人島と
思っていた人もいる事を
聞いた。
最もな話であるが 
以外に 湯島その物は
現在 熊本県天草に
属しているが
長崎県島原に 
属した事もあり
特に 漁師は
漁場(太刀魚)を
共有していた。
仲が 良いのか
悪いのか 漁場は
何時も もめ事が多かったが だからと言って 決定的な
決別には 至らなかった。生活の糧には どちらも勝て
なかったのだろう。激しい海の男たちの中にも 守るべき
ものえの思いが伝わってきそうだ。堂崎恵比寿さんは
そんな昔を 見つめて来たに 違いない。
  


Posted by 熊本ごみしょりおじさんと湯島紀行 at 09:03Comments(2)故郷 家族

2009年06月03日

犬と同居人

何を 隠そう 紛れもなく
犬の ソファーベッドだ。
ゴミとは 余り関係は
ないが。
ベッド。ソフアー。
衣装。アイス。
お犬様用は 限りがない。

犬好きの 私には 嬉しいことだが
「過ぎたるは 猶及ばざるが如し」だ。おじさんも 犬とは
近い 同居人でいたいとは 思うが ペット意識は
今だにない。
雑種でも 名前は 太郎。次郎。ゴン。ちび。シロ。と
日本犬が 好きで 気持ちが通じるところが良い。
人間以上に 可愛がることは 同居人を逸脱している。
  


Posted by 熊本ごみしょりおじさんと湯島紀行 at 05:42Comments(0)故郷 家族

2009年06月01日

世界の海はどこに。

余りにも 写りが
良かったので
拝借に 及んだが
後輩だから
いいかと
思いながら 
アングルの

素晴らしさに感動している。
島原.口之津の上から日が落ちる様を 湯島からみる。
この夕日を 故郷に足を向けなかった昔。想像しながら
偲んだ事を 思い出す 社会に反逆すればするほど
気ずかぬ内に 故郷は 遠くなってしまう自分の心に
ジレンマを 感ずる青春があった。
何度 有明。早崎の海峡を 出て 世界の海を見たい。
と思いながら 都会え 海も 世界も 
夢も存在しなかった。引き帰ることも出来なかった。
社会に 反社会に動く自分に
「ほんなもんの おっじゃなか
と 心で 叫び泣く 青年がいた。
万感の夕日は どうしょうもない 昔を掘りおこす。

夕日の海里 湯島  


Posted by 熊本ごみしょりおじさんと湯島紀行 at 15:14Comments(0)故郷 家族

2009年04月22日

家族

ちょっと 前になるが 

馬見原の県道に

桜と 鯉のぼりの

コラボは 絵になった。

こんなにまで 祝って

もらえる 子供 孫は幸せだと思う。自分のことはどうだ。

なに一つ子供に 祝いごとを した記憶もないし。

自分の 幼い頃との 比較に それ以上の 祝いごとは

照れ臭くて 出来ないし こんな親父だと子供は

あきらめて 育ってしまった。 俺には 人並みにが

なかつた。人は人 俺は 俺の 悲しい性が 家族も

子供までも 引きずってしまった。

もう よかろう 孫が 生まれても 孫は孫 俺は俺

なんて やめにする。 家族だから。
  


Posted by 熊本ごみしょりおじさんと湯島紀行 at 10:02Comments(2)故郷 家族