熊本県内外。九州管内。全ての地域の ごみ処理
熊本ごみしょり・廃棄センター
株式会社 くまもと流通
電話連絡先 096-384-9162
洗濯機・冷蔵庫・クーラー・茶碗・ベッド・ガラス・衣類・家具・
タンス・おもちゃ・機械・金属。樹木・コンクリート・土・石・草・
家屋解体・ビル解体・薬剤・液類・備品・布団。楽器・紙類・船・テレビ・
じゅうたん・書類・倉庫・食品ごみ・車・臨時ごみ・定期ごみ・(人間) 以外のすベてを (処理。解体。買取り。)ご相談 お待ち 致しいます
各項目。店名。文章。をクリップしてください 専門HPへ移動します。
2011年09月29日
サンゴ草と網走市・能取湖畔

去年以前

今年・・・・・・
網走市が お詫びした 人間が考え
良かれと思って 改善した環境工事が
失敗 アッケシソウ(サンゴ草)が
壊死してしまった。
思いは 生きやすい環境をとの
思いであったのが 逆の環境を
作り出してしまったのだろう。
難しいものだが なんだか
自然神は 人が喜び 人が見る為に
増やしたり
生きて頂いたりする事が
これも又 自然環境を
侵しているのではないのか?
あるがままの 様を見
あるがままに 生きて頂き
人以外の 自然に 滅されるものは
やっぱり それも自然の営みでは
ないかと思っている。
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2011年09月25日
福岡県・奥八女・星降る星野村・棚田と”曼珠沙華”


確かに 彼岸は 仏門の世界の
向こう岸の 黄泉の境地かも 知れないが
我が身に悟りが訪れずとも 天界の如意花の
”曼珠沙華”は 短く美しく咲く
福岡県・奥八女の星が降るようにきれいな
星野村・棚田も 今は又 黄色実の稲穂と
彼岸花の コントラストが 呆れるほどに
心捉われ 美しい。
毎年たずねるが 心洗われる 彼岸の日
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2011年08月31日
九重連峰・伏流水・池山水源


大分の仕事帰りに 産山の池山水源に
立ち寄った
何とか 水の豊富さと 透明度を カメラに
おさめたいが おじさんの素人写真では
流れる水も 溜りの池も 表現出来ない
上の写真の 少年が立って遊んでいる所も
膝まで 水の中に入りながら 遊んでいるが
川底が そのまま写っては
水の中には 見えない 下の写真も
滔々と 湧き水が流れているが 写真では
何の抵抗も無く 川底が 普通の土面に
映るだけだ。
この太古の九重の伏流水は 限りなく透明で
素足で浸るには 勿体ないほどに
神水を感じる。
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2011年03月30日
海と大地と地震の神ポセイドーンにお願いする。
どう見ても 神や 仏が与える試練とは
思えない。
こんなに 悲惨で悲しいこともなかった
およそ人の世に 悪も 悲しみも存在したが
こんなに 次々と 送り込んで来た悪夢は
なかったような気がしてる。
もしも 現世から 願い事が届くとするならば
これ以上の 母を 父を 家族を 泣き叫び乍
探し回る 子供を作らないで欲しいと
偶然でもいい 奇跡でもいい 木材と木材の
隙間にでもいい 生かせてもらえるなら
心臓が動いているだけで結構だ。
周りに 飛び交う神様 仏様 恵比寿様
海と大地と地震を つかさどるポセイドーンに
お願いしたい こんなに尽くせない試練を
与えないで欲しいと・・・・・・・
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2011年03月26日
震災と人の知恵と未熟さ

自然の 猛威の前には 成すべくもなく
国の責任者どもは 想像を超えた災害に
たじろき乍 それを理由に対応の遅れを
解釈する。
自然を 予想・6メーターが
津波の 最高値だと言うが それ以上に
なることもある。
外海ヘ飛び出せば それくらいのうねりは
目にする まして一度 放出されれば
消滅されそうもない 放射能であれば
尚の事 その予想標準は
常識を超えたところに 置くが正しい。
でも なければ 自然界の 物質を
コントロールするには 余りにも
人の英知も 能力も 経験も 未熟だ。
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2011年03月17日
危険度・危機感・自然えの敗退

地震で ストップ発電 常用電源停止
水の循環ポンプ停止
非常用発電機起動(ディゼルエンジン発動)
電源切り替わり 再度循環ポンプ起動
循環水起流 燃料棒冷却
これが災害時の 流れであったが
どこかで 狂ってしまった。 先ずは
非常用発電機(ディゼルエンジン)が
起動しなかったことだ。
理由が解らないが ディゼルエンジンは
多少 水をかぶっても 水中でも
排気筒さえ 空気中に 排出できれば
必ず作動する だから船舶エンジンにも
使用されている。
それに 燃料切れなんて考えられない
人の命を 預かる者の 危機感のなさに
あきれ返るし 自然特殊物を 燃料に
コントロールする 高等能力も
心構えも 真剣度も 危機感も
技術力もない 今一度考え直すことだ。
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2010年09月10日
夕陽と朝陽と太陽と蒼の空

これは 写真上が 我が家から見える 朝焼けで
下が夕焼けである。
最近では 夕焼けに負けないくらいの朝焼けを
見るようになった。
記憶にある 朝漁場の 東の空はそんなにも焼けず
青に 吸い込まれるような 日の出で在ったような
気がしてる。
連日の朝焼けに 長年の日和見の勘が 異変を
もたらしそうで 心配である。
やっぱり 夕日は焼けて 朝陽は柔らかく
蒼に東の闇の底から 引き出される太陽がいい。!
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2010年09月07日
益城・小谷・西原村・潮井水源



西原村から 少し降りた所 益城町の小谷の上に
潮井神社と 潮井水源がある・
こんな 暑い時でも 物静かで水の湧き出しで
下の堀端に落ち込む音だけが 涼しげに聞こえる
日蔭も多く 西原店の帰りに 弁当担いで
食べた後の 昼寝がたまらなくいい。
少し 車道は狭いが 遠くないのがいい。
身近に こんな所がある 最近では
湧き水が健康に良いらしく 水汲みが増えた。
教えたくない。教えたい穴場だ。
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2010年08月23日
九重連山”坊がつる”近辺
車ではあったが 九重の連山 坊がつる
黒川温泉の仕事を 兼ねての 駆け足ではあったが
ガスが少し残る 大船・平治・坊がつる
今度は一日 コースを造り 女房殿と ユックリズムで
回りたいと 思っている。
若い頃 別府・大分に居た頃 まだあまり知られて
居ない頃の 坊がつる近辺は 冬も 秋も 夏も 春も
自然そのものだった。
歩きながら 坊がつる賛歌を 口ずさむ青年の
おっさんの リュック姿の 山男もいいもんだ。
今日は ガスと 雨霧で 2.3枚の写真は撮れたが
巧く撮れなかった。
下の写真は 一枚は 昨日の大船山を撮ったものだが
後は ”坊がつる””平治岳”は
九重みやまきりしまの 咲く頃の 写真をお借りした。
何時も 自然に圧倒されてはカメラが動かなくなる。
こんな環境が 九州に残っているのが嬉しい。
(写真の中央クリックで坊がつる賛歌・ONです。)
色付きの 登山道が 五時間程だ。ハイキングには
最適!

その時期の 平治のミイヤマキリシマ群

長者原から 大船方向を望む

坊がつるから 連山を見る。

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黒川温泉の仕事を 兼ねての 駆け足ではあったが
ガスが少し残る 大船・平治・坊がつる
今度は一日 コースを造り 女房殿と ユックリズムで
回りたいと 思っている。
若い頃 別府・大分に居た頃 まだあまり知られて
居ない頃の 坊がつる近辺は 冬も 秋も 夏も 春も
自然そのものだった。
歩きながら 坊がつる賛歌を 口ずさむ青年の
おっさんの リュック姿の 山男もいいもんだ。
今日は ガスと 雨霧で 2.3枚の写真は撮れたが
巧く撮れなかった。
下の写真は 一枚は 昨日の大船山を撮ったものだが
後は ”坊がつる””平治岳”は
九重みやまきりしまの 咲く頃の 写真をお借りした。
何時も 自然に圧倒されてはカメラが動かなくなる。
こんな環境が 九州に残っているのが嬉しい。
(写真の中央クリックで坊がつる賛歌・ONです。)
色付きの 登山道が 五時間程だ。ハイキングには
最適!

その時期の 平治のミイヤマキリシマ群

長者原から 大船方向を望む

坊がつるから 連山を見る。

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2010年07月21日
阿蘇・高森。上色見・熊野座神社・霊感スポット
くまもと市場・第二空港店から 20分
阿蘇・高森・上色見・国道から 直接第一の鳥居を
左右に 狛を見て 潜りぬけると
杉の大木の 中参道はひんやりとして
暑い夏には心地よいが 長い土の階段参道を
登ると 神秘性と 霊感さえ感じるような気もする。
やがて 神屋まで 登りつめるが
後神体は 更にそこから 急斜面を 300mは
登りつめたところに 巨大な さざれ岩の潜り抜けが
あるが その物が ご神体であるそうな
潜り抜けた 1mばかりの先は 現在木はあるが
断崖絶壁に成っていて 先は深谷である。
なんとも 環境条件が 異質で 失礼ではあるが
面白く 満感の神秘性である。

さざれ岩の 潜り抜け御神体

3分2程上った 鳥居を潜ると お宮まで後10分
最後の登りだ。

最初の 鳥居を受けると お宮さんの見えない
先が 細くなつて見える 参道が見える。
ひょっとしたら ”登竜門”とは こんな感じかも
ご連絡はこちら
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阿蘇・高森・上色見・国道から 直接第一の鳥居を
左右に 狛を見て 潜りぬけると
杉の大木の 中参道はひんやりとして
暑い夏には心地よいが 長い土の階段参道を
登ると 神秘性と 霊感さえ感じるような気もする。
やがて 神屋まで 登りつめるが
後神体は 更にそこから 急斜面を 300mは
登りつめたところに 巨大な さざれ岩の潜り抜けが
あるが その物が ご神体であるそうな
潜り抜けた 1mばかりの先は 現在木はあるが
断崖絶壁に成っていて 先は深谷である。
なんとも 環境条件が 異質で 失礼ではあるが
面白く 満感の神秘性である。

さざれ岩の 潜り抜け御神体

3分2程上った 鳥居を潜ると お宮まで後10分
最後の登りだ。

最初の 鳥居を受けると お宮さんの見えない
先が 細くなつて見える 参道が見える。
ひょっとしたら ”登竜門”とは こんな感じかも
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2010年06月21日
浜名湖・少女死・波・経験不足・指導者(2)

結局 記事を 二度も 続けて 書いた事は
無かったが 今日の保安庁の 仮調査で 私が書いた事と
同じ調査結果が出た。
青年の家の所長さんの 一度も 船引きをした事もない
未経験が 判断ミスにつながった 悪く言えば 人災だ。
今に至って 訓練の 気候予測ミスだとか 色々言うが
海もまた 予測できる物でもない 漁師の言う
"西上がり"等の 夏の嵐は 予測も出来ずやってくる。
仕方の無いことだが 問題は 時化も叉学ぶべき試練だ。
しかし 大切な事は それに対応できる体勢も
学ばなければ成らない。
それも出来なければ カッター訓練等 辞めて
海や 船や 湖に 近ずかない事だ。
それだけ怖いものなんだ。
マニュアルがいけないとは 言わないが 大切な事は
即時適応できる 自分のマニュアルを
自分が作り上げる事だ 船乗りの端くれだ
船引き(牽引)ぐらいは 日頃の訓練に入れておくもんだ。
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2010年06月19日
浜名湖・少女死・波・経験不足・指導者

浜名湖で 起こるべくして起きた。
水難事故は 免許持ちで 何の欠点も無い様に見えるが
実はたいへんなミスをしているし 経験不足が 一人の少女を
死に至らした。
船も 水も 流れも すべて 一瞬の隙で魔物化してしまう
船の 牽引の仕方 環境条件 気候条件 流れ条件
波頭の条件 やらを その短時間の内に 決断しなくては
ならない事は 漁師や タグボート 引きボートの船乗りなら
皆んな 知っている 時化の海で 自分の船体より
小さい船 軽い船 同等の船などは 数珠繋ぎで
引くときは 波や 流れに 一番船を スピードや
引き力を合せながら 引くのが基本だし
そこに やや 大型船を 挟み込むのも一案だ。
今度の場合は 一艘のカッターボートを
モーターボートの 引き力で 何も考えず 引き回すと
波返しを 諸に受けたり 波引き込みを受けたりする事になる
海や 湖の レジャーも 教育もいいが 指導者がもっと
経験を積み 免許基準でなく 漁業経験や
遠洋航海の経験基準でも
プラスする指導官を 擁すする事が大切だ。
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2010年04月13日
ど根性桜とお役所仕事
錦ケ丘公園の
健軍川沿いの
コンクリートの継ぎ目から
ド根性桜が 目を出して
もう 幾年かなる。
今年も 桜の花から
見事な 青葉をつけて
秘かに 隠れては
楽しんでいたが
越して 道路から
見えるように
なってしまった。
出来るなら 川壁
少し 崩してでも
育ててやりたいが
余り 目だってきては
処理されるのが
関の山だ。
何としてでも お役所仕事を 逃れたい一心である。
それに 川壁でも上部の方で 指して迷惑のかかる所でも
無さそうだ 何とか生きて欲しいと願って止まない。
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2010年03月31日
宮崎県・五ヶ瀬・三ヶ所・枝垂れ桜
宮崎県は 五ヶ瀬・三箇所の 枝垂れ桜は 素晴らしいもんだ。
今年も ひかれるように 三ヶ所を訪れたが
やっぱり 素晴らしい年季と その花身の 素晴らしさと
全体的に 見るバランスは 感嘆すること しきりであった。
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2010年03月16日
市房の桜花と四季と漁師
速かったような
気がしてる。 今週末が
最高の 市房の ダム湖の
桜が 最高潮を
迎えるだろう。 何時もの
花の開花に
逃げられそうな 感じに
追いかけられる。
元来 少年の頃から
桜花が 唯一身の周りに
あった花で 事に田舎には 現代のように 洋花も無く
現在のように 花を作り 花を めでる余裕も 無かったような
時代であった。
その中で 卒業や 入学や 事に 漁業の四季の 潮時の
バロメーターには 欠かせない時期の 開花で
潮の 温度や 流れを予測できた。
それ以来 大人に成っても 桜花を 追うようになった。
市房は 今 三月15日 五分咲き~七分咲きだ。
今年の "穴地蔵さん"の 御参りも 済んだが
満開の 週末には 再び訪れて見たいもんだ。
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2010年03月08日
九重夢の大橋と青春ワーク
高所恐怖症には
心臓に悪い。
若い頃は 安全帯も
碌に かけないで
高さ30mくらいの
足場のない鉄骨上を 歩きながら 防災工事を施工していた。
当時は 安全基準も 手薄で 足場なんて 予算の付かない
時代で 高所で仕事を競うのが 自慢と誇りであった。
今 考えると よく生きてたもんだ。
ただ 毎日が 緊張感の連続で 血のおしっこ(尿)を
足していた事を 思い出す そのおじさんが 高所恐怖症に
成ってから もう ずいぶんだ。
今日も 夢大橋に 挑戦して見たが
やがて 半分も行かない内に 引き返してしまった。
情けないやら 悲しいやら いったい 若き日の おじさんは
何処へ行ってしまった!
今度 来たときは 渡り切って 左右の 景色事に
滝の 素晴らしさを 下手な写真に 治めてやろう。
2010年03月05日
大野市・緒方町・東洋のナイアガラ・原尻の滝

豊後大野市緒方町の 原尻の滝は 圧巻であった
どの滝も 地名プラス ナイアガラの滝に 成っている。
ここも 東洋のナイアガラに 成ってはいたが 不思議に
そんな気にも成るのだ。本々本家の ナイアガラ等
見たこともないが 写真から想像して それを現実感に
置き換えた時 それが増幅された 偉大さを器用に作り出す
おっさんの 特技は 自分だけの世界だ。
時には こんなマイナスイオンの 世界に浸るのもいいもんだ。
4月には チュウリップ祭りも 含めて
御堪能されては如何かな?
2010年01月28日
夢は東シナ海を越え シナ大陸を駆ける。
黒島だろうか?
その向うの
東シナ海の
更に その向うに
シナ大陸は上海があり
そこから 北方に北京を越え 長春から 父が生涯をかけた。
吉林がある。
合ったこともない 親父を夢で追い求めた 少年のl頃
合ってもない親父の顔は 夢では 分からないと 聞くが
私には はっきり分かった。
お袋さんの生前に 一度その地 キーリン(吉林)の
領事館を訪ねてみたいと 思ったが叶わぬ夢に成ってしまった。
(開聞岳から)
2010年01月26日
開聞岳と黒潮と島々
違わず 素晴らしかった。
遠くから
開門の素晴らしさは
無論だが
三合目あたりの
公園から頂上を 望むのも 良いもんだと思う。
海は 東シナ海と 太平洋を 望めるが まだ霞の中に
島影が 薄くあった。
梅雨明けから 初夏にかけての
黒潮の竹島・黒島・硫黄島が くっきり見える楽しみを
とって 置きたいと 思う。
遠くに 大隅の 佐多岬が 望めた。
2009年12月28日
鯛生金山と”西海道談綺”天領の地
少し足を運んで中津江村の
" 鯛生金山"を見る。
江戸時代は 天領の地で
ここ日田の 郡代が
同じ 天領天草を 所轄
感じれるものである。
その日田の郡代所に
唯一 あったのが
我故郷 湯島の
地図であった。
松本清張の 今の生誕100年記念の 再来ブームで
”西海道談綺”は 今一度読み返す必要がある。
女の執念は 怖いが合点が行かないのが
如何なる理由であれ 江戸の昔であれ女房と 自分の上司の
恋まで許せる分けが無い 鯛生金山の発見は明治初期であるが
松本清張の 江戸期は おそらくは”隠し金山”の ロマンだ
2009年11月29日
年金時間と呼子とイカ食
久し振りの 唐津から呼子で 楽しい限りだ 出張のついでだ
昔から 陸に上がっても 海付の里を めぐる。 潮の匂いと
人の嫌いな 生臭さが 無性に恋しくなる。
好きではない匂いも しばらく離れると 恋しく懐かしく
なってしまう。 考えれば 不幸な習性だ。
散々 時間も惜しんで 働いて来たんだ 金も無ければ
老後年金も無い あるのは 時間の自由だけだ。
何処まで 生きれるかやってみなけりゃわからない。
今日は おばさん族の イカ食事と 干物買いに
お付き合いだ 俺の唯一の 年金時間だ。
好きなように 使うぞ!
2009年11月09日
奪われた・秘境・五家荘
ごみしょりおじさんの
休暇だった。
秋を 感じてくて
五木の里・五家荘を
回る。
どうであれ この奥山は
素晴らしいものであった
毎年秘かに
散策していたが
今年の 車の多さには
少々 あきれた。
私の中の 秘境が
なくなってしまった。
2009年10月22日
温泉黒川郷と経済
最早・黒川郷は 秋色であった。
緑も濃く 紅色も 黄緑も 深みを増していた。
南小国の 某会社の 大型処理は 10日間は要するだろう。
ついでに 黒川温泉郷を 一回り ここら辺は
木の茂みを抜けると 里がある なんともいえない郷愁と
日本の故郷を 感じるが 作られた温泉町や旅館には
多少 抵抗を感じながらも 里を作り 観光資源と経済を
活性化した事には 感服した小旅であった。
2009年09月24日
内大臣から清和ヘ
ものはついでだ! 美里町から緑川沿いに内大臣から
鮎の瀬橋 通潤橋 清和(木原谷)と 緑川の通常の反対側を
上って見た 日頃みない 山里の 山の中の 暮らしが見れる。
道路も そんなに悪くは無く 景色は 素晴らしかった。
又 紅葉に 来る事を 想像しながらの 小ドライブであった。
2009年09月07日
朝の始まり
見る 朝陽もいい。
なんとはなく 世界に
空と 陽と 明を 同時に
与える 神の目覚めが
夜の底から
現れてくるような 陽柱に 後光を見る。 この上ない朝の光に
今日があり 今日が 始まる 期待と 不安と 感謝が 一瞬にして
身に 降りかかり そして今日の夢の 始まりを 告げる。
2009年08月07日
悲運の城・佐敷城
城跡からの町並み
水俣の 見積は又おっさんの
仕事だ。高速で
田ノ浦を 越え 最後の
佐敷・芦北インターで
降りた左手に 小高い
山が見える。
その頂上に 飛び出した見たいに 中世からの 悲運の城
佐敷城跡がある。城主は短くは 何日かで終わったり
節々で 変わったりで 歴史の中を 翻弄され続けてきた。
佐敷氏の 築城から 肥後。人吉相良。薩摩島津。の
戦乱の 犠牲に成った。国と 国の 境目の地が持つ
悲運な宿命だ。 心なしか 方言も入り混ざって聞こえてしまう。
遠くは不知火・八代海を 越えて今や半島化した 天草諸島が
静かに 横たわっていた。戦乱の 栄華の 夢跡に立つ。
佐敷城跡
仕事だ。高速で
田ノ浦を 越え 最後の
佐敷・芦北インターで
降りた左手に 小高い
山が見える。
その頂上に 飛び出した見たいに 中世からの 悲運の城
佐敷城跡がある。城主は短くは 何日かで終わったり
節々で 変わったりで 歴史の中を 翻弄され続けてきた。
佐敷氏の 築城から 肥後。人吉相良。薩摩島津。の
戦乱の 犠牲に成った。国と 国の 境目の地が持つ
悲運な宿命だ。 心なしか 方言も入り混ざって聞こえてしまう。
遠くは不知火・八代海を 越えて今や半島化した 天草諸島が
静かに 横たわっていた。戦乱の 栄華の 夢跡に立つ。
佐敷城跡

2009年08月01日
健康食は昔から
それに 近い製品だ。
どうにも プラスチックの
まだ 質が悪く
古く なれば カサカサと
崩れて行く タイプだ。
それが 体に悪いことも
解らずに蓋の水のカップで
なみなみと飲んだもんだ。
そんな事は 日常茶判事で
別に気にするものでもなかったが 今と成って若い頃 可なりの
悪毒を 少量ではあるにしても 体に含んだ事を
気にするように成った ほとんどが今に言う 体に悪いもの
ばかりである。しかし その一方では 食そのものが
求めなくとも 自然食で 今に言う体に 良い物だった。
ふと 単純な おじさんは プラス・マイナス ゼロだと 納得。
2009年07月05日
棚田と山の生活
抜ける 狭い県道沿いに
20枚ばかりの
扇棚田が あった。
別に 観光用でも
なければ 保存用でも
なく 山のほとんど 駆け上がりに 生活に必要な 田が
段々に 変則扇型を 成していた。
おじさんは これが本物だ!無性に嬉しくて 近辺部落の
今だ 生活中の 藁屋根が 何軒もあった。地名は(袋)と
表示してあったが 生きた田舎があった。日田の仕事帰りを
日田~天瀬~下筌ダム~下津江~菊池~熊本を 選び
高速時間と 余り変わりはなかった。
2009年06月22日
”あこう樹”の夢
口之津は 早崎海峡
早崎港による。
何と! 防波堤の
継ぎ目の
コールタールの中に
彼は根を 出している。
”ど根性”なんて
なま優しい問題ではない。
条件は海の上だ しかも
コンクリートの 隙間。
植物に 必要な 水もない。しかも 植物の対敵 コールタールの
中だ。
しかし 今までに 彼のこんな姿を 幾度となく 見てきた。
今度も 根を 落としながら 生き続けるに違いない。
今から 足重に 通いながら 見つめて行く事にした。
新鮮な食と 新鮮な人にめぐり合える 湯島ヘ
2009年06月12日
宮崎。真幸駅の幸福の鐘。
宮崎・真幸(マサキ)駅は 管理おじさんには
何故か寂しさを感じる。
昭和42年に 妻を熊本まで 迎えに行った。
思いが 残っている。昔からさびしい駅で
宮崎側の スイッチバックの 駅である。
静かで 背景が自然の多いところはそんなに
急いで 時代は 変わっては 行かない。
今は 幸福えの願いと 観光を 含めて
訪れる人も 多くなった。
プラットホームの 幸せの鐘がカランカラン
もし 鐘で幸せが来るのなら 家の玄関に
”鐘”を 吊り下げた だろうに。
ブッブッと言いながら 団塊の意地悪親父は
山の駅の感傷に浸る。何が不満なのか?
もう 時代は 過ぎたのだ。今は 楽しみを
感じる時だ おじさん!鐘でも 鳴らして
幸福になろう 人並みに !